2012年05月01日

高専とはどんな学校なのか


高専受験の話は高校受験と並立で比較しながら進めてるんだけど、これでOK?
多分その方が色んな違いがわかって良いと思うから。
それくらい高専の位置付けが特殊つうかマニアックなんだわ。

高専とは独立行政法人国立高等専門学校機構によって運営される「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とする」高等専門学校と私立高等専門学校の総称である。
工業系高専は5年制、商船高専は5年6ヶ月のカリキュラムを組んでおり、扱いは短期大学と同じ扱いで、卒業すると短大卒と同じ「準学士」の資格が与えられる。
更にほとんどの高専では2年制の専攻科が設置されており、専攻科を修了して学位授与機構の審査を経て学士の学位を取得できるようになった。これにより大学を経ずに大学院への進学も可能となっている。
これとは別に大学編入制度で大学へ進学するケースも近年は増加している。
例えば昨年の明石高専からは東大工学部へ7名の合格者を出している。その他にも旧帝大が並び、高専では受験のための勉強は一切しないにもかかわらず、一部では大学進学の予備校とさえ言われている。
受験勉強をしないということは受験疲れをしていない学生郡で、その点は就職組においても産業界から高く評価される原因となっている。
全国に現在国立51校、公立3校、私立3校があり、ほとんどの都道府県に最低1校が設置され、高専が存在しない県は埼玉県、神奈川県、山梨県、滋賀県、佐賀県の5県のみである。
入学対象は中学卒業者で15歳以上の者である。若干ではあるが高校からの編入者もいる。
近年は他国からの留学生も受け入れており、毎年若干名の学生が留学している。


■高専の創設

太平洋戦争の敗戦後、日本はアメリカの指導の下、新教育制度「6・3・3・4制」が布かれることになる。それまでの日本では専門学校と高等学校(何れも旧制)から独自に大学へ進学する複線型教育制度だったが、それを一本化する単線型教育制度への改革だった。
しかし理工系の技術者を養成するのは容易ではない。大学卒業生だけでは急速に工業化するスピードに人材の数が追い付かなくなってきた。
そこで1950年代に中学卒業と同時に専門教育を施す旧専門学校のような学校を設置できないか研究が始まり、産業界からの要求もあって1958年10月に専科大学法案が国会に上程された。
この法案に対し、短期大学からは「短大が専修大学に格下げされるのではないか」との不安から猛反発。野党からも「複線型教育制度の復活」と反対が噴出し、この法案はその後も国会に何度も上程されながらその度に廃案になった。
だが、実践的技術者の養成は当時急務であり、政府は「短期大学・大学」とは異なることを明確にするため法案名から「大学」の名前を外し、工業分野に特定して教育し研究を目的としないなど変更して「高専法」は1961年に可決される。
高校でも大学でもない、独自の高等教育機関の誕生である。

高専法の可決を受けて、翌62年に全国で12校の国立高専が開校された。これを第1期高専という。
このときの競争倍率は平均17倍である。
その後も各都道府県では高専の誘致が繰り広げられ、1965年の第4期までにほとんど現状の形が形成された。
1967年には商船高専5校が設置され、70年代までに高度成長に呼応するように産業界へ人材を輩出するようになる。
教育機関の制度から見ると高専は非常にマイナーな存在ではあるが、常に実践的技術者の完成教育を目指して優秀な人材を輩出し産業界から高い評価を得ている。
これが高専の求人数の多さにつながっている。
第1期卒業生は67年だが、当時の短期大学・大学の就職率が90.8%に対して、高専は100%であり、その後も景気の影響に左右されず本科で10数倍の有効求人倍率を維持している。
2012年度大学卒業者の就職内定率は2月の時点で80.5%だったことを考えると雲泥の差がある。特に人気学科の優秀な生徒の場合、数社からオファーされることも珍しくない。
現在、高専が再注目されるようになった理由のひとつにこの強力な就職率の高さが上げられよう。
また、就職先企業は誰でも知っているような企業がずらりと並んでいるし、公務員へも卒業生の半数近くが進んでいる。就職難といわれる今、高専だけは就職天国と言える状況には間違いない。

これは高専という学校の良い面だが、ここだけを見ているととんでもないしっぺ返しがあることも知っておく必要がある。それは次回にお話しようと思っている。

■これからの高専

高専という教育機関が産業界、経済界からの即戦力性の高い中堅技術者養成という理由から創設された機関であることは既に述べた。
しかし、4年制大学への進学率が高くなった現状では、高専の目的はある程度果たされたのでは、という声も聞かれるようになった。高専のことを「ソルジャー養成学校」などと言う者がいるのも、生産現場への重点的配属が多く見られたからだが、実は内容的には大学工学部卒より専門分野で上の高専卒は多い。
全く研究開発分野への転属がないわけでもない。
このようなことが言われるのも大学は研究分野の学問を学ぶ場所だというのが大きい。それに対して高専が目指してきたものは、技術者の養成だ。だが、産業界はより高度化し、過去の技術者とは違ったニーズが出てきており、高専もそのニーズに応えるべく内容を変化させようとしている。

国立大学が行政法人化したのと歩調を合わせて、高専機構も独立法人化した。直接、国が運営しなくなった結果、中期計画に従って高専も運営されるようになり、場合によっては予算を削減されることも現実のものとなった。こうした時代の「生き残り」は教育機関にも近年顕著に見られるようになった。公立高校ですら、今までと同じでは生き残れない雰囲気がある。
高専機構が打ち出した改革のひとつがスーパー高専に代表される高度再編だ。
産業界のニーズに合わせた、より高度な教育を行う目的で全国で4地区を皮切りに行った。
現在、企業が求める企業人像は理工系は技術、人文系は営業というようなものではなくなっている。生産現場でも、かつてのように安い人件費を背景に大量生産する時代ではなくなり、より高度化、複合化、融合化する時代のニーズに合わせて高専も変化しようとしている。その高度教育を行う機関として熊本、香川、仙台、富山の各高専を再編した。
その結果、今まで工学系だけだった教育に人文系教育を融合させた新型の高度融合教育学科の設置、加えて海運立国としての商船学の高度化が図られた。
スーパー高専のもうひとつの試みは地場企業との共同開発研究である。
これらの中には収益性の高い分野も含まれていて、削られた予算の補填として利用することも行われている。あまり知られていないが、高専の研究費は全体では東大に次ぐ研究予算費用だ。1校当たりの予算は到底東大に及ばないが、これを地域密着と全国高専のネットワークを利用してスケールメリットによる有益な研究資産を共有しようと試みられている。
また地場産業との距離を縮めニーズに即した人材育成、子供たちへの理科への興味を発掘する出前教育やオープンキャンパスなど地域貢献も高専の別の姿だ。
こうした変化は高専のみならず大学にも今後波及することだろう。


■大分高専

大分高専は1963年に開校された第2期高専で、いわゆる初期高専グループである。
正確な住所は牧であるが、存在するのは明野団地の外れだ。
明野団地の造成が始まったのは65年(昭和40年)からだから、高専が開校された時点ではずいぶんと辺鄙な場所にあったことだろう。このような場所に開校されたのは大分市が新産業都市として新日鉄の誘致に成功したことと無関係ではないだろう、というのは推測だが。
正式名称は国立大分工業高等専門学校(英称:Oita National College of Technology, ONCT)である。

1963年 機械工学科(通称M科)2学級、電気工学科(通称E科)を設置して開校。このときは、まだ現在の場所ではなく、鶴崎高校の中にあった1棟を仮校舎として開校。
1964年 現在の位置に校舎が完成し移転。
1967年 土木工学科(通称C科)を設置。
1989年 機械工学科を2学級から1学級にし、新たに制御情報工学科(通称S科)1学級を設置。
2001年 電気工学科を電気電子工学科に改組。
2003年 専攻科(機械・環境システム工学専攻及び電気電子情報工学専攻)設置。
2004年 土木工学科を都市システム工学科に改組。
2011年 都市システム工学科が都市・環境工学科に変更される。
2012年 制御情報工学科が情報工学科に変更される。




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Posted by *clear* at 13:53│Comments(0)受験・進路
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