2013年08月05日

平和作文の後日談


この話、前回で終了と思っていた。

何だか子ども部屋で相方と子どもがモメテいるようだ。すると怒りながらリビングにやって来た。
「また同レベルで漫画取り合ってるの~」
「つまらんこと言いなさんな!」(おっと触らぬ華音に祟りなし)
「作文に手を加えたいって」

どうやら先日の平和作文の内容に納得がいかない部分があるので変更を加えたい、と次男が言い出したらしい。詳しく訊けばどうやら「核兵器は必要」という趣旨を入れたいのだそうだ。これは難しくなった。

前回のエントリで書いた通り、日本の国防は米国あってのもの。アメリカの核に守ってもらっている(或いはそう思われることで)日本の国防は成り立っている。日本の海上自衛隊が保有する戦力は米国に続く世界第2位の軍事力を誇る。それでも日本独自の戦力では事実上、国防には不十分だと言われている。核兵器が使用されればお互いが傷付くくらいの痛手で終わるはずもなく、まして人道的非難を世界から向けられる。その恐怖があるからこそ戦争を避けてきた。
このような理論から「核廃絶には疑問」から更に踏み込んで「核は必要」と盛り込みたいらしい。次男にとって「核兵器がなくなっても戦争はなくならない」ということを書いてしまっている以上、こう書かないと完成しない、と思ったのだろう。

「作文を書く前に話し合った時、そういう考えを持ったんだろうけど、それはマズイなぁ」

そういう国防論に関しては「頭から話を聞く気のない人」が存在するのだ。「脱原発」の人などは都合のいい話しか聞かない人が多い。自分の気持ちに沿った話には同調するが、反対の意見には耳を貸そうともしない。加えてこういう人が「反核思想」でもあることは火を見るより明らかだ。
そのような考えでは恐らくこの国は守れないだろう。
国際政治の世界は「腹黒い」のだ。「外交とは武器を使わない戦争である」と言ったのは塩野七生氏だったと思うが「反核団体」のような「無邪気な思想」でできるほど外交や国防はお人好しの世界ではない。
そもそもこういう意見の真意を小学生レベルで理解できるかはかなり疑わしい。これをまともに言ったら間違いなく担任の先生の立場が危うくなる。そうでなくても日教組の多い県として大分県は有名だからだ。

次男の話を訊くと結論は「戦争は嫌だ」になる。そのための手段が「核兵器だ」という意見。気持ちはわかるだけに全面否定もどうか。


相方が、そういうことは理解できないだけじゃなくて、もし父兄の耳に歪んだ形で入ったら大問題になるから先生に迷惑かけるでしょう、と「言いたいことは間違ってはいないけど」とした上でやっと納得してもらえた。
オレが驚いたのは大人向けの話題をこのスピードで理解して自分の意見に昇華してしまったことだ。こうした大人びた脳の使い方には何が由来するのだろう。こうした才能を伸ばしてやるべきだと思った。

さて、このような話題は非常に誤解を生み易い。何故ならば原因はともかくとしてアレルギー的にあるいは宗教的ともおもえるほど信奉する思想が存在するからだ。
従って多くのバイアスが掛る。個人というフィルタはバイアスそのものと言っても差支えなかろう。
その例が政治家の失言であることは言を俟たない。
過去に多くの政治家が発言を曲解され、場合によっては政治生命を断たれたこともあった。最近では橋下大阪市長の「慰安婦発言」が槍玉にあげられた。「今の日本の政治で重要なのは独裁」という発言は、意図するところはわからなくもないが過激過ぎる、という点では、今回の次男が言う「核必要論」と同じで誤解を招きかねない。
それで失言の親分とも言える麻生太郎氏の「国家基本問題研究所」が主催したシンポジウムでの発言が物議を醸し出している。肝心なのは櫻井よし子氏が理事を務めるこの組織がどのようなものなのかだろう。民間のシンクタンクではあるが憲法改正に件に関しては「急進改憲派」の立ち位置にいる。そこを踏まえた上で読むと別の味わいがある発言なのだ。

<引用>朝日新聞掲載の麻生氏発言全文

 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。
 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。


<引用終わり>

当時最も進んだ民主憲法とされていたワイマール(ヴァイマル)憲法の下でもナチスのような独裁政権を生んだ、という事実を鑑みると、たとえ日本国憲法も同様に憲法だけが優れていても落ち着いて議論しないとドイツのようになるかも知れない。どうも昨今の憲法改正は国益や国民の安全という本質が抜け落ちた感情論の議論になりつつあるように思われるが、その焚付役はマスコミではないか。
そうならないようには、ワイマール憲法上でもそのようなことを可能にしたナチスの手口を研究して同じ轍を我々は踏まない、という考えもあっておかしくない。

全文を読み通すとこのような趣旨を麻生氏は言いたかったと受け取れる。
尖閣諸島の問題を含めて「頭に血が上った議論」からは本質的な「何をどうすべきか」を考えた憲法改正は行えない、と釘を刺したのだろう。
「あの手口学んだらどうかね」のところで会場から笑いが起こったのは、聴衆が十分に麻生流のブラックジョークであることを理解していたからだろう。
麻生氏がナチスに本気で学べと考えていないことは論旨からもわかるが、以前からナチスを例えに使う癖がある。例えば民主党が参院議員で過半数を取得したときの発言。これに民主党は猛烈に反発した。これらのことからも麻生氏が「ナチス」と発言した時は「悪い例え話」として使う癖があると考えていい。靖国神社参拝の問題にしても、以前から「マスコミが騒ぐからお隣が五月蠅くなる」と主張している。
これを一部抜き出してタイトルにした読売新聞と共同通信こそ「カストリ新聞社」と非難されねば理屈が合わない。政治部の記者がこのようなことを把握していないとも思われないのだから、底意地の悪さを感じるのだ。

麻生政権だった2009年に米国戦略態勢委員会に日本が外交工作を行い、米国の一方的な核軍縮による「核の傘」が弱体することへの懸念を示したことが報じられた。このことは今回の次男の言った内容と被る。
結局は現状では米国の核は日本の国防上なくてはならない。故中川昭一氏は、北朝鮮のミサイル発射を受けて「純軍事的に言えば核に対抗できるのは核だというのは世界の常識だ」と帯広の会合で発言している。中川氏は原発が日本海側に集中していることに対して「核兵器など使用しなくても通常のミサイルを原発に打ち込まれたら終わりだ」と警鐘を鳴らした人でもある。そのためには最悪の事態に備えて核を保有すべきかは議論する必要があると現実的な議論をしようとしていた。核を議論するどころか一切が封殺されていた日本の現状を考えれば当然でもあった。

こういった事柄も多くは誤解され非難の対象とされてきたが、恐らく次男の思いも誤解されることは想像に難くない。ディスカッションする場においてでさえ、まともに話が噛み合うか疑問だ。
これは原発問題も同様だろう。その一番顕著だった事件が、長女のときの「議論」をテーマにした授業。当時、長女は「原発の必要性」を議題にしようとして先生に止められた。理由は議論にならないからだ。もちろん脱原発を行うと大きなリスクを背負うことはわかっているが、あのような大きな事故が起きた後ではヒステリー状態になって議論にならない、と先生に諌められたのだ。

この日本では「核」の文字は議論のぎの字にもならないのだ。
国民は冷静に判断し決して戦前のドイツのようにならないよう努めなくてはならない。そのためには何が最も大事なのかを考えなくてはならない。民主党への反動から自民党一色になった今の議会も異常とは言えないだろうか。
意見が週刊誌やタブロイド紙レベルの国民ではダメだ。




同じカテゴリー(受験・進路)の記事画像
冬休みの課題
いよいよ高専祭
これの答えおかしくね
プロコン実況中!
分母と分子をひっくり返して
理科の自由研究
同じカテゴリー(受験・進路)の記事
 戦争のことなんかわからないよ (2013-08-01 11:37)
 BESNAVIのこと (2013-07-31 11:29)
 冬休みの課題 (2013-01-15 13:02)
 基本情報技術者合格 (2012-11-20 13:19)
 第46回高専音楽祭 (2012-11-04 15:50)
 いよいよ高専祭 (2012-10-26 08:32)

Posted by *clear* at 20:47│Comments(0)受験・進路
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。