2012年02月15日

企業の策略に乗るのも悪くはない

企業の策略に乗るのも悪くはない

バレンタインに浮かれる歳でもなく、毎年子供達に気持ち程度のものをあげるだけになっていたが、今年は何となく手作りなぞやってみようと思い立った。
簡単そうなのでトリュフかな。
仕事で疲れている身としては短時間に作れるのが理想的だなとレシピを検索してみると、「ナニコレ、マジ簡単すぎっ!!」てな内容で笑ってしまう程。
因みに、参考にしたのはクックパッドのこちらのレシピである。リンク先に飛んで頂ければ分かるが、本当に笑ってしまう程簡単なのである。



作るモノが決まれば次は買い出し。
一緒に買い物に行った長男に「企業の策略に踊らされるのもどうかと思うけど…」とボソボソ言われ、「あえて乗ってるんだよ」と反論。そう、あえてこのようなイベントに乗っかってみるのも悪くはないのだよ。「踊らされている」のではなく「踊ってやっている」のだと思って楽しむ心の余裕を持つことも人生には必要なのだ。
所で、長男の発言について。「バレンタインにチョコレートを贈るのは、製菓会社の策略があったからだ」と言うことは一般によく知られていることだが、確かに欧米にはそのような習慣はなく、バレンタインには男女問わず恋人や親しい人に花やケーキなど贈り物をするのが普通である。従って、バレンタインと対になっている「ホワイトデー」の習慣はない。
私は、欧米のスタイルの方が好きだ。大切な相手のことを想いながら贈り物を選ぶ時間は私にとって何にも変えがたい幸せなひとときであるし、貰う方になったときには、相手が自分の為に一生懸命選んでくれたのだと思うとそれはそれは幸せな気持ちになるからだ。
だからと言って、日本のバレンタインの在りようを否定するわけではない。
相手のことを想い選ぶ、または作るという行為は先述の「贈り物選び」に通ずるものがあるからだ。だからと言ってはなんだが、義理チョコという考えはいただけない。友チョコまでは許せるが…。

話はトリュフに戻るが、折角作ったのに家族内だけで終わってしまうのは勿体ないと、職場でも同じポジションの人たちに配り、いつもお菓子をくれる人たちにも配った。
概ね好評だったのではないかと思う(食べた感想はまだ聞いていないので、何ともいえないが)


そして、娘からは毎年恒例の生チョコ。

企業の策略に乗るのも悪くはない

かなり甘さ控えめでいくらでも食べられそうだが、いつもくれるのは少なめである。
仕方がないので、今度自分でも作ってみようかと思っている。
幸い今はインターネットという便利なものがあるので、検索すれば幾らでもレシピが出てくる。
作ったらまた記事にするかもしれないし、面倒なのでしないかもしれない。そのときの気分次第ということだ。
記事にしたとしても「こんなの作りました♪おいしかったぁ~♪」などという、バカみたいな書き方はしないであろう。
相方のような小難しい文章は書けないが、子供達に見られて恥ずかしい文章は書きたくないと最近強く感じているので。


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この記事へのコメント
中々美味しかったです。

さて、企業戦略でスタートした、と認識されるバレンタインも最初から今のようなスタイルではなかったし、定着もしなかった。
製菓メーカーが十分な量を製造できるようになるのは、砂糖の統制が切れた昭和27年以降のこと。
その後もしばらくはチョコレートは高級品だった。
メリーチョコレートがバレンタインの特集を組んだのは1960年だけど、この時も大きな反響はなかった。
定着したのは70年代前半とされているが、この間実に10年以上経っている。ここが「メーカー戦略が原因でない」とされている所以だな。
しかし、メーカーはユーザーのニーズを考えて女性からチョコレート贈る、とターゲットを絞ったことでバレンタインは定着して行った。
要するにメーカーとユーザーがシンクロするところを探すのに10年以上かかった、と考えるのが自然だ。
70年代といえば経済が高度成長から安定成長を向かえ、オイルショックでインフレと重厚産業の構造不況があった時代。ドルが固定360円から自由化への過渡期にあたる。当然、輸入も輸出も増え、チョコレートは特別な存在ではなくなってきていたこともバレンタインが定着する要因だっただろう。
しかし、この時代においても「女性から告白」することは勇気のいる時代。
つまり1日だけ公認の「告白日」ができたことは免罪符をえたようなものだったのではないだろうか。
現在でも「本命チョコ」はこの性質を受け継いでいるとも思える。
元々「恋に恋する」という女性特有の真理がなければ日本型のバレンタインは定着しなかったと言えよう。

オレの小難しい文章はこんな感じだけど、どう?
Posted by *clear**clear* at 2012年02月16日 02:00
>IKEA氏

>中々美味しかったです。

それはようございました。


まぁ、私なりに色々調べてみても、上のコメントに書かれているような結論に達したわけですが。
ただ単に書くのが面倒くさくなっただけですおほほほほ。
てか。
女性から告白する機会を与える必要がなくなった今の日本、バレンタインのあり方ももっと変わっても良いんじゃないかと思ったり。

やっぱ私には小難しい文章は似合わないかも。
ただ、バカっぽい…というか、内容が無い文章は嫌だなとは思うけどね。
Posted by *clear**clear* at 2012年02月16日 22:43
>華音氏

まず
真理×
心理○
コメントで誤字があったので訂正しておきます。

決定的なのは、ユーザーが求めているものを企業が発見したのが70年代前半だった、ということ。
そういう意味では、企業戦略にに嵌ったと考えていいと思う。ここがWikiでの編集者と意見が別れるところなんだよな。
オレら的には「それは違うんじゃないか」と突っ込んだ部分でしょ。

>あり方ももっと変わっても良いんじゃないか

それはどうなんだろう。
つまりこういうこと。
ブームってヤツは習慣になった時点で別物になるわけよ。
「義理チョコ」は出てきた時点で、企業の思惑にズッポリ嵌められたんだが、これが現在の習慣に大きく影響していると思う。
それに日本人のお祭り好きは一種独特なんだな。催し物なんかを含めれば年間に4~500もあるって言われている。
そういう日本人の性質を見抜いたのが「イベント商法」なんだろ。
本命なんてその中で占めるウェイトは既に小さいと見るべきだろう。
つまり遥か前からバレンタインは変質していると思われるんだな。

>内容が無い文章は嫌

それは禿同なんだけどね。
この記事だってこの遣り取りがついて、こういう内容を知りたければ検索エンジンのトップでヒットする可能性が高いのよ。
そもそも、(マトモな日本語として)数行しかない記事が検索で上位にランクされるはずがない。だって中身がないんだから。
ウチの記事って最近、検索エンジンでトップという記事が増えたよね。
それって下手なSEO対策をせずに一本の記事の濃度を上げたから。タグはいまやその使命を終えている、というのがオレの意見。
ネット空間での人の行動を考えたら、中身のないページなんか見ても直ぐに戻るのは当然なんだな。
中身がなくてもアクセスされるのは特別な人なの。有名人とかタレントとかね。
中身のない一般人の書いたものなんか見るだけ時間のムダだから、一般的にアクセスした瞬間戻るのはアナライザーの滞在時間を見たらわかるんだよ。

て、いうか。
この遣り取りはさ、かなり核心部分に迫ってきてるんだけど、このままコメントの応酬でしばらくやらない?
これって実験的だけど面白いかもよ。
Posted by *clear**clear* at 2012年02月17日 03:04
>IKEA氏

まぁ、確かにバレンタインの在り方はよく考えたら変化してきてるね。
「女性から男性に告白」とかっていうのは薄れてきてて、昨今では「義理チョコ」の他に「友チョコ」や「逆チョコ」なんてのも流行ってるし。一部(私だけじゃないよね?)では「自分チョコ」だってあるしね。

日本人の「お祭り好き」はたしかに頷ける。
実際私も好きだし(笑)
お祭りが近所であるとか聞いたら行きたくなるのも確か。
お祭り以外でも各種イベントには人が集まるし、日本人って結構並ぶのも厭わないとこあるよね。
だから「イベント商法」が成り立つのかも知れない。


>検索エンジンのトップでヒットする可能性

そればかりを考えるのはどうかと思うけど、検索エンジンでヒットする確率が高いということは、中身があって参考になるという評価にも繋がってくるから喜ばしいことでもある。それは事実。
有名人のブログでも、かなり好きな人の所でも中身が壊滅的にない場合は「ちょっと…」となって殆ど読まずに引き返しちゃう。
「それって、その人のことホントに好きなの?」って聞かれそうだけど、好きは好きなんだよね。ただ、そんな文章「文章とも言いたくないが)を見ちゃった場合、その後も変わらず好きでいられるかどうかはかなり怪しいけど。
逆に、「この人あんまり好きじゃない」とか思ってた有名人がきちんとした文章を書いていて結構思慮深かったりすると、ちょっと好感度上がったりとかね。
それ考えると、損してる人って多いなぁと思う。
まだ有名人ならそれでも見てくれる人はいるよね。好きな芸能人の仕事やプライベートちょっと垣間見ただけで大喜びする人は五万といるんだから。
ただ、一般人のブログに関しては違うっていうのがわかってない人が多いのは事実だよね。
有名人がああいう書き方してるからブログはあんな感じで書けばいいとか思ってたら大間違い。一般人が何処に行ったとか何を食べたとか殆どの人は興味ない。「知り合い」だったら少しは気になるかも知れないけど、そうじゃない場合は全く知らない人の生活なんてどうでもいい。
検索して辿り着いた人が情報として欲しいのは、その人の生活の内容ではなくて、その人が行ったお店や食べたものの詳細。例えば値段はいくら位だったとか美味しかったのかとかその場所はどんな感じで居心地が良かったかとかそういったことが知りたい。
なのに、そういう情報を書いてる人の少ないこと!
「○○に行きました~。楽しかったです♪」ってのを読みたいんじゃないの。入場料だったり広さだったり、どんな施設があるのかだったり…何故そういった情報を載せないんだろうね。表面的な「楽しかった♪」だけじゃ何も見えてこない。
最低限、行ったところの名称と住所わかれば電話番号、更にできることならGoogleMapのリンクが欲しいところ。

中身のないブログを書いてる人たちには、今一度考えなおして欲しい所。
ま、ムリかもしれないけどね(苦笑)
Posted by *clear* at 2012年02月21日 08:32
>華音氏

書きたいことは山ほどあるんだけど、とりあえずバレンタインについて。

恐らく、企業戦略の露骨さは義理以降だと思う。
何故なら日本人特有の「ギフト思想」を上手く利用されていると思うから。正直さ、これはバレンタインに限らないんだけど「自分へのご褒美」という考え方が完全に企業のシェア拡大の戦略に乗せられたんだと思うな。
その先端にいるのが広告代理店とメディアだし、この手のキャンペーンにおける女性誌の功罪は計り知れないと思われる。
これは一種の洗脳じゃないだろうか。

んでさ、告白で定着したバレンタインに面白い考察があるんだよね。
それは時期の絶妙さ。
つまりだな、2月14日というのは、あと1ヶ月そこそこでクラス替えだとか、卒業だとか、そういう時期になる。ということは、仮に告白してフラれたとしても、気まずい感じが1ヶ月程度で終わるということになる。同級生じゃなく先輩ならもっとそれが確実になるので流行ったんじゃないか、という説。
当然、これは仮説だし厳密な調査がなされたわけではないけれど、学生から流行りだしたことを考えると、なるほどと肯ける仮説に思える。

今日は眠いんでココまで。
Posted by *clear* at 2012年02月22日 01:19
え~、続きです。

>並ぶのも厭わない

というより、並びたんじゃなかろうか。
もっと言うとさ、自分の行動に明らかな意思が反映されていないことが原因だと思う。
行列はほとんどの場合、ラーメン屋が多いわけなんだけど、これって行列ができてる店とそうじゃない店の味に極端な差はないだろう。だって、そんなに差があったら店が潰れてしまう。
しかしだよ、そんなに差がない店に1時間も並んで食べたがる心理には「行列のある店の方が旨いに決まっている」とか「ココまで並んだんだから美味しくないわけがない」といった明らかに都合のいい理論で並ぶ人がいる。
ここに「AとBに極端な相違がありえない」という常識的な理論が働かない。これが「群集心理」というオバケだ。
普段なら並んでる人を見て「ヴァカじゃね」で済むのだが、震災なんかの時はちょっと恐ろしい。パニックになると次々に伝染していくからな。
特にマイナス(つまり恐怖心)は伝染しやすい。
人間の自己防衛反応が強い時こそこういう傾向にあることがわかっている。

日本人のお祭り好きは農耕民族だからだろうかね。
もうちょっと言うと日本の社会は長い年月神社仏閣中心の社会だった。農業の中心的存在と豊穣を司るところだったから、神への奉納が祭だった。
つまり、日本人にとって祭は心の拠り所だったのではないか、というのがオレの推論なんだな。
Posted by *clear* at 2012年02月22日 11:40
検索エンジンの件なんだが、別にそれが目的なんじゃもちろんない。それは「結果的に」ということ。
しかし、あることについてそれくらい書くだけのスタンス、というのが大事だと思うのよ。特にオレたちの場合「モノヅクリ」という立場にあるでしょう。それってどれだけ「真摯に向き合って作るか」が凄く大事だと。ブログも表現のひとつなんだからモノヅクリと同様に真摯に向き合いなさい、と良いたいんだよね。
ブログの記事でさ、中途半端だったり自分にしかわからない書き方の人を見るとね、作ってる物もその程度じゃないかと思ってしまうわけ。
そもそも「作家」とか「アーティスト」なんて呼ばれている連中がその程度しか文章表現できないのは恥ずかしいんじゃないでしょうかね。よくそれで表現者面ができるものだと。芸術の世界は批判や作品制作のバックグラウンドがあることが普通なんだけど、そういうことも知らないで作家デビューしちゃうからw
職人なのか作家なのかハッキリしないのが大杉。
趣味と言い切ってしまうんなら値段つけるなよ。
コメントのレスじゃないんだけど、ハンドメイドが以上のようなカオスの状態にあって一緒くたなのは少なからず障害と感じてる。
Posted by *clear* at 2012年02月22日 12:11
あと「検索エンジンでトップでヒットする」が「自慢」と読み取られる可能性の件。

どれだけバイアスが掛かってるんだ?www
そういう風に何事も考える人というのは妬みや嫉みが強いだけだろうな。そんな人に何を言っても斜に構えるのが「素敵自分」だから考え方が変わらない。
依託先ショップを検索したらウチの記事がトップに来るのは事実だから、正直にそう書いただけ。
それって情報として有用だったから。
でもさ、その記事を作るのに結構時間も足も使ってるんだよね。インスタントに書いてないから評価されてる。
だからと言って検索エンジンのために書いたわけじゃない。行きたいと思ってる人に向けて書いてんだ。
検索エンジンのリストアップはより人間の感覚に近づけようと改良されているから「タグが無意味」というのそこから来てる。少し前にスパムタグが問題になったからね。

スパムと言えばステマも問題になってるじゃない。あれって何で引っ掛かるんだろうな?
Posted by *clear* at 2012年02月22日 12:24
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