2012年03月18日
追悼:ミヤコさんに捧ぐ
オレって感情をうまく言葉にするのが昔から苦手。
オレに限らず男性は概ね苦手か。
はなれ古舎のミヤコさんが事故で亡くなったのを知ったのは、高野さんのエントリを読んだから。
最近は忙しくて依託先へもあまり顔を見せていなかった。
子猫時代にも会ったけど、成長してから久しく会ってないな。
かなり精神的に痛みがあった様子で、コメントしようと思いながらも、何を書いて良いやら考えがまとまらず、書けばまた長くなるようにも思えて反応できずにいた。
同じように愛猫を亡くした立場を経験して、気持ちはすごくわかるだけに、何か励まそうと思えば思うほど文章にできなかった。
何から書き出そうか。
オレのところの猫が息を引き取ったのは2009年6月12日。
年齢は21歳だった。
子猫で捨てられケガだらけのところを保護したのが始まりだった。
それからはオレが親代わりだった。どこに行くのも付いて来て、寝るのも一緒、風呂に入ると入り口で待っているような有様だった。
結婚する前から飼っていたから、嫁さんより長い付き合いだ。
飼い始めた時に覚悟したことがあった。
どんなに大事に飼っても自分より先に逝ってしまうこと。
だから最後の最後まで飼ってやろうと決心した。
それでもその日がやってきたとき、言いようのない気持ちが抑えられなかった。
亡くなるちょっと前から痩せ始めたのに気付き、急激に食べ物を受け付けなくなり、最後の1週間は水さえ飲めなくなって死期が近付いていることをイヤでも感じた。
2人で水を舐めさせたり、食べないのでクリームを口に付けてみたりしたけど、あまり効果はなかった。
日に日に弱り、狭い所に入ってじっとしていることが多くなると、もうダメなのか、とムリにでも思わないと仕方がなかった。
亡くなった日、子ども部屋にある三段ベッドの一番下の上で息を引き取っていた。
すでにお腹は動いていなかった。
それでも、もしかすると息を吹き返してくれんじゃないかと思ったりもした。
もちろん息を吹き返すことはなかった。
飼い始めたときから、最後は火葬して墓を建てる心算だった。
ペットを火葬をしてくれる葬儀社に連絡をして、バスタオルに包んで冷たくなった猫を運んだ。
葬儀社の人に預け「宜しくお願いします」と言うまでは何とか平静を保っていたが、火葬してしまったらもし仮死状態だったらどうするんだ、とかあり得ないことまで考え始めアタマの中は取り止めもないことばかりになってしまった。
火葬に出したことで完全にこれがピリオドなんだ、と考えた途端、涙が溢れて止まらなくなった。
泣いてもどうしようもないことはわかっているけど、泣くしか術がなかった。
ダメな飼い主だったんじゃないか、と自分を責めたり、もっと他に手はなかったんだろうか、と後悔したりもした。
やっぱりコメントしなくてよかった。
こうやって時間が経って下書きをしていても感情がダブってウッて来るから。
多分、そのときの感情でコメントしたら支離滅裂なことを書いてそうだ。
今はやっぱり捨て猫だった猫の里親になって飼っているけど、亡くなった猫の代わりにはなれない。
どちらもオンリーワンだとあらためて思う。
この子もいずれオレたちより先に逝ってしまう運命だし、そのときにまた新たな心の傷ができてしまうのも現実なんだよな。また傷のカサブタができて、傷が癒えたようにみえて、まるで古傷が痛むようにジクっとした痛みを時折感じるようになるんだろう。
でも、こういう風に考えた。
誰かの心に残って心の傷になれた方がまだ幸せだって。
ミヤコさんは高野さんの心に棲みついたんだから幸せなんだ、きっと。
心の傷は特効薬がない。
あるんだとすればきっと時間なんだろう。
時間がゆっくりと傷を癒してくれる。
でも思い出せば悲しみも楽しかったことも同時に思い出して、自分の人生と共にあるんだな、って思う。
そっか、もうミヤコさんには会えないんだな。
大人しい良い子だったのに。
優しい飼い主に飼われて幸せだったよな、ミヤコさん。
やべぇ~な、なに書いてんだかわかんなくなってきた。
ちょっとモニタが見え難くなってきた。
ミヤコさんのご冥福を心からお祈り致します。
Posted by *clear* at 14:02│Comments(0)
│日記