サランラップ

*clear*

2011年07月30日 16:38


冷蔵庫で冷やしてレンジで暖める。
ごく普通のありふれた日常。
冷蔵庫が壊れた、という話は前回触れたけど、家電とりわけ白物家電の中でも冷蔵庫ほどなくて困るものはないと思われる。
そんでもってありがたさを感じるのは日本製のラップフィルム。
正式には「食品用包装用ラップフィルム」と言うんだそうだ。
タイトルになっているサランラップは商品名だけど、もはやラップの代名詞とも言える存在。クレラップがどうか、という話は別にして。
因みに商品化は呉羽化学のクレラップの方が早かったらしい。どちらも1960年代だから、僕らが子供の頃には店頭にあったはずだ。
だが、どうも記憶では一般に広まったのはずっと後で、新聞紙の方が幅を利かせていた。やはり普及したのは電子レンジが一般化したあたりらしい。もっと言うと電子レンジは国鉄時代の新幹線に搭載されていた。当時、加熱が終わると「チン」という音でお知らせしていたことから、未だに「チンする」という動詞が一般に用いられ、愛犬協会から朕に対してケシカラン、という苦情が毎年寄せられるとかしないとか。
今やラップなしで食事情は考えられないだけでなく、どうしたらいいの、生きていけない、などなど様々な声も聞かれる。
ところで海外では日本のようなラップはあるのだろうか?
急にそんなことを考えたのは先述した冷蔵庫の件もあるが、頼まれていたのに買い忘れて帰り、こってり叱られたからだと思う。
その矛先を海外のラップ事情に向け、なければ買い忘れて叱られない海外の夫事情を羨ましがり、あれば彼らもそういうことがあるのだろうと慰め、以下略。

まぁ、結論から言うと海外にもラップがあった。
良かった、海外の夫も頼まれたラップを買い忘れて叱られることがあるようだ。
しかし更に詳細を調査すると意外なことがわかった。
日本製のような高品質のものはないということである。彼らが常用しているか疑わしく、どうも夫は叱られない可能性も出てきた。
海外のものはまず切れないらしい。一応、箱に刃は付いているがラップが伸びて切るどころではないらしい。しかも器にピタッと貼り付かないので密閉できず、レンジで溶けてしまうものまであるようだ。そのクセ値段は高い。
我が家はトライアルで特売48円のラップを愛用しているが、コイツも切れないときが多い。だが海外のラップ事情を鑑みれば、10回に4回は成功するこのラップでさえ高品質だと言わねばなるまい。
とにかく日本のラップに限らず、日本製日用品は非常に高品質であることが判明した。

実のところ、調査する前から予想はできていたことなんだけど、日本との文化的背景が異なるため当然の結果だった。
例えば、トヨタのカローラはヨーロッパで評価が高い。このクルマは日本では標準的な大衆車で長くベストセラーだった車種だが、趣味性の欠片もないことから自動車趣味人からは見向きもされないクルマだった。それがヨーロッパで評価されたのはカローラのような高品質で気配りの行き届いたクルマが生産されていなかったからだ。
日本的気配り文化が評価された事例と言える。
今はお中元の時期だと思うが、贈る時に「つまらないものですが」と言うのも日本人らしい発想と言えよう。
日本では謙遜することが美徳とされる文化である。
贈るものがつまらないはずはない。一生懸命厳選した贈り物であっても貴方の素晴らしさには及ばないという謙譲である。そこを気遣い、先方は「気になさらなくとも」というのは日本人ならではの空気感ではなかろうか。

日本では革製品は特別なものだと考えられがちだが、欧米では普通にありふれたもの。何故なら食肉文化を軸にしている彼らにとって革は必然的に発生するものだからだ。
日本は稲作が始まり定住するスタイルに変化したときから「農耕民族」の道を選択した。江戸時代になると肉食そのものを幕府が禁じたのだから、いよいよ革という素材は縁遠いものとなっていったに過ぎない。
その意識が今でも残っている、ということなのだろう。
因みに欧米では特殊な希少価値のある革を除いて椅子の座面は、革よりファブリックやジャガードなどの織物の方が高級だとされている。革が普段使いに用いられるのは、日本と違って湿度が低く涼しい気候のせいでもある。
食べ物の違いだけでもこれだけ意識が変化するのだが、何千年もの長きにわたって構築された文化はかなりの相違をみせるのだろう。

特に日本の場合、お客様主義が強い国民性で、先のラップにしても最初は両手で切っていたものが片手で切れるように進化し、リサイクルでき、かつ金属に引けをとらない紙の刃に変化するなど、常に進化し続けてきた。
これはお客様主義に基いたお客様の「わがまま」を叶える、という発想から出発していると考えられる。
これは良い事でもあるが、反面、客の立場になると際限なくわがままになる人々を生み出す原因を創出したとも考えられる。
時計の針のように運行する電車にしても「待つ」ということができない多くの日本人を生み出している。その心理で発生したのが「JR福知山線脱線事故」だとすれば、双方にとってこれだけ不幸なことはないだろう。

海外では列車や飛行機が遅れるのは当たり前で定刻通りに発着することが珍しい国が多く存在する。
だからこれらの国が発達しないなどと言うのは当然あるのだろうが、そこではこういうことに起因するストレスは少ないだろう。
何だかスパッと切れるラップの国に住んでいるのが幸福なのか、あるいは不幸なのか分からなくなってきた。



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