しかしである。
Downloadのサイトには、赤字で以下のように書かれているのである。
Updating the firmware from the toolbox is not supported when Windows is running off the drive you are trying to update.
-Toolbox will not update a primary system drive (e.g. drive letter "C:"). You must run Windows from another drive and then update your SSD using Toolbox.
なっ、何だと、対象とするするドライブが“C”ではアップデートできない!?
これは組織の陰謀なのか?それとも神が与えし試練なのか?
そもそもが起動の高速化のためにSSDを導入したのであって、それがMaster Driveではないとは本末転倒ではないか。しかし、この注意書きを読む限りSSDをsecondary driveに設定することが当然のようだ。
バカな、それではSSDの突然起こるデータクラッシュに対応できないではないか。
多くの者はSSDをprimary driveに設定していたし、この注意書きを読んで「まさかそれはないだろ」とアップデートに挑み散って行った。
そこで我々は、この問題を解決しなければならなかった。
採った対策は接続をHDDがprimaryに、SSDをsecondaryに設定してWindows7 Professionalをインストール。高専でWindows7 Enterpriseへアップデートする。
Enterpriseというエディションは、Microsoftとソフトウェアアシュアランス契約をした特定の企業や機関へ提供するボリュームライセンス版であり、内容は事実上Ultimateと同一である。
大分高専もこのVLを持っていて、S科の学生は無償で1台に限り提供を受けられるようになっている。但し、Professional版だけが持ち出し可能で、Enterpriseは持ち出しができない。加えて何もOSがインストールされていないマシンへのインストールはできないアップデート版である。前述した手順になった理由はそういう事情がある。
一旦、HDDにWindowsをインストールして、その状態でSSDのファームウェアをアップデート。この状態でHDDクローンをSSDに行う。
この辺の事情も書いておこう。
WindowsはXPからアクティベーションという認証システムを導入した。これは特定のPCに対して正しくインストールされないと特定の期間を過ぎると起動できなくなるもので、これをネット経由で行う。要は違法コピーすんなゴラァ、ということなのだな。XP発売の初期にMicrosoftの本気さはかなりマッドな感じで、それまでパーツと一緒に購入できるOEM(Original Equipment Manufacturer)版を小売店に提供しないという徹底振りだった。
これは市場から猛反発を喰らい、さすがにMicrosoftもやりすぎたと思ったのか、一般にもOEMを提供するように改善された。現在はOEMじゃなくてDSP(Delivery Service Partner)版と呼ばれているヤツだな。
XPのアクチは本当に融通が利かなくて、例えばHDDの増設とかグラフィックカードの変更など、自作機では日常的なことでさえ再アクチする羽目になった。Vista以降は多少マシになって、マザーボードを交換するようなレベルでなければスルーするようになったらしい。
コピーの対策だったわけだが、このことが事実上HDD→HDDへのコピーをしても起動できない仕様になり、もしもの時の対策が難しくなってしまったのである。一般にHDDは消耗品という印象があり、ある程度使用したHDDはいつクラッシュするかわからない。長く使っているとユーザーに合わせた仕様にOSやアプリケーション設定が変更されているから、一から再構築するなど御免被りたいが、ただ単にコピーしただけでは起動できないのだから困ったことになった。そこで登場したのがHDDクローンソフトウェアだ。
これを使えば現在の環境をそっくり別のHDDに移動したり、ブートディスクを構築できたりする。
これは、あくまでもしもの時に備えるためで違法コピーを助長するためではない。どうせ別のマシンに移植したらアクティベーションは求められるからな。
オレのはそんなのしなくても動いてるぞ、というのはだな、おまいら様のPCが世間で言う「メーカー製パソコン」だからだよ。購入したPC以外で使えない代わりにアクチを省いたメーカーへ提供するOEM版を搭載しているに過ぎない。最近のこのようなPCはHDDの中にリカバリー領域を設けていることがほとんどなので、HDDが物理クラッシュするとか~なり面倒なことになる。
そういう事態に備えてリカバリー領域のバックアップが回数限定でできるようになっているが、違法コピーを警戒してか、メーカーも積極的に推奨していないのが現状だ。リカバリーディスクの作成方法はメーカーによって異なるので、マニュアルを読めば必ずどこかに記載されている。なければメーカーのサイトで検索しろ。
それが面倒なら…
次の買えば?
で、SSDへの引越しが完了して起動させると、激早。
あっと言う間に起動してしまう。
マジ、カッキー!などと無邪気に喜んでいられたのも束の間。
システムを見るとSSDしかない。
そんなバカな、と思って[ドライブの管理]を見ると、HDDはあるのだが「オフライン」になっている。システム上はHDDを認識しているのだが、読み込みも書き込みもできないよ、チャンチャン。
どうやら我々は組織の妨害にあっているようだ…
試しにHDDをP0でprimaryに設定して起動すると、こちらでも起動するがSSDがオフライン。
理由は
「オンラインである他のディスクと署名が競合しているために、ディスクはオフラインです」とある。
げっ、どうやらクローンしたSSDとHDDの内容が被っているので、Cドライブ以外のドライブをはねている模様。HDDは3つにパーティションを切ってフォーマットしたのだが、ドライブ全体がオフライン。
そこで、こういう場合の対策。
1. 希望のドライブ接続で起動。
2. コマンドプロンプトを起動
3. [DISKPART]と入力してEnter
4. list diskでディスクの一覧を表示
5. select disk xで操作するディスクを選択
6. online diskでオフラインのディスクをオンラインに変更
7. オンラインになっただけでは読み取り専用の場合があるのでattributes diskでattributes disk clear read onlyと入力し書き込みも可能な状態に変更
8. ディスクをオンラインにしただけだと、ドライブレターが割当てられていない場合があるのでlist volumeでボリュームの一覧を表示。
letterがないHDDにselect volume x【x:ドライブレターのないHDD No】で操作対象ボリュームを選択。assign letter=ドライブ文字でA~Zの中でA,Bを除く使用していないアルファベットを割り当てる。
これで操作終了。
以前のIDEからSATA初期まではHDDはジャンパピンによって強制的にprimaryとsecondaryが決められていた。そのためprimary driveが優先されて起動する仕組みだったので、たとえ同じOSがインストールされた別のHDDが接続されていてもCドライブから起動していた。ブートディスクや別のHDDから起動するためには、起動オプションを使うものだったのだが、7ではこういう仕様になったらしい。
【ドライブレター】
各ドライブにはドライブレターと呼ばれるA~Zまでのアルファベットを割り当てる。ルートディレクトリではドライブ番号を先頭に書くことでどのディスクがターゲットか見分けている。ドライブレターは基本的にフォーマットされた領域に対して付けられるので、パーティションによって1台のドライブに複数の領域を設けている場合、それら領域すべてにレターが付けられ、1台のドライブが複数ドライブレターを所有することも不思議ではない。よって、A~Zの数すなわち26台のドライブが接続できるのではないことに注意。
最近のPCではAとBは何も割り当てられず、いきなりCドライブからスタートしている。AやBがあたかも「欠番」のような印象を受けるかも知れない。実はAとBは欠番になってしまった、と考えた方がいい。
以前のPCではHDDのような大容量のストレージが高価で個人向けのPCには搭載できなかった。通常はフロッピーディスクドライブに起動ファイルが格納されていた関係上、起動ドライブをAドライブとしていたのである。そういった古いPC時代は2台のFDDを搭載するマシンも必要だった関係でA、BをFDDのドライブレターにする慣わしだったのである。大容量のHDDにOSが格納されるようになってから、通常はCドライブから起動するのが当たり前になったが、Windows9X時代はやはり数枚のフロッピに起動ファイルをコピーするのが普通だったのだ。もし何らかの理由でWindowsが起動しなくなった場合、このフロッピのブート領域から起動させるためにAドライブから起動させた時代の名残である。
Windowsを使い慣れていると、まるでドライブレターはPCにおける標準のように錯覚するのだが、実際にはUNIX系などのOSでは採用されておらず、言ってみればこれはWindowsひいてはMicrosoftの仕様だと気付く。
ドライブレターは、1976年にインターギャラティック・デジタル・リサーチ(後にデジタルリサーチに改名)がPC/Mで採用したシステム。このOSはゲイリー・キルドール(Gary Kildal 1942-1994)が開発用に使っていたIntel i-8080に搭載される。このPC/M(Control Program for Micro Computer)が最初の8bitマイクロコンピュータ用OSだった。このOSはシュガード・アソシエイツから別けてもらったFDDに搭載した。
1970年代の前半、フロッピーディスクの価格が市場からの需要の高まりからドライブと共に下落し始めた。ゲイリーはこのFDを有効に使ったOSを売り出し、1977年にBIOS(Basic Input Output System)を開発して搭載すると、更に汎用性の高いものとなりPC/Mは当時のマイコンをほぼ独占状態にした。
このPC/Mにはリブートが頻繁に発生する特徴があった。
アプリケーションの終了やI/Oエラーなどが発生した場合でも、BIOSは先頭に戻ってAドライブからCCPとBDOSをメモリに呼び出してロードさせ、CCPの先頭にジャンプさせていた。CCPとBDOSは起動ディスク内に収納されていたので、常にAドライブには起動ディスクを挿入していなければならなかったのである。
こうした事情からAドライブとBドライブをFDDにする決まりが作られたのだ。
市場を席巻したPC/Mだったが、時代は8bitから16bitに向かおうとしていた。デジタルリサーチも16bit(Intel 8086)に対応したPC/M-86を開発した。
ちょうど1979年~1981年の3年間はマイクロコンピュータにとって重要な時代である。
IBMは1979年に本格的な16bitPCに参入しようと画策していた。一方でSeattle Computer Products(SCP)も8086を組み込んだマイコンキットを販売したが、有効なオペレーティングシステムがMicrosoftのBasic-86くらいしかなかった。SCPはデジタルリサーチがPC/M-86を開発していたのを知らなかったのか、あるいはコストの問題だったのかはわからないが、独自のOSをティム・パターソンに任せた。
ティムはPC/Mを参考に4ヶ月でQDOSというOSを仕上げた。PC/Mの優れた部分を取り入れて、と言うと聞こえはいいが、世間的には「パクった」と言われている。システムは非常に似ており、PC/Mで使われていたドライブレターも導入されていた。反面、BASICで導入されていたFATシステムが導入されていたり、多くのコマンドの簡素化が行われ、ティム自身の発想も多く見受けられた。ともかく80年10月に86-DOSと命名されてOEM提供が開始された。
さて、IBMの方ではIBM PCを動かすOSを探していた。IBMが有力視していたのはデジタル・リサーチのPC/Mだったようだ。しかし、IBMとのライセンス契約は結局成立しなかった。この理由は諸説あるのだが、はっきりしているのはこの時期にゲイリー・キルドールが16bitへ対応させることにあまり関心がなかったからではないかと言われている。彼の同僚だったゴードン・ユーバンクス(元シマンテックCEO)によれば、当時のゲイリーはPL/Iコンパイラに熱心だった、ということからも個人向けのコンピュータに興味がなくなっていたと思われる。またIBMはPC/Mを丸ごと250,000ドルで買い取りたいと申し出たが、ゲイリーは1コピーに対して10ドルにこだわり折り合いが付かなかったとも言われている。価格面も然ることながら、ライセンスを確保したい両者の思惑が食い違ったことが、最終的に契約できなかった理由ではないだろうか。
IBMは本命だったデジタルリサーチがそんな感じなのでMicrosoftにも交渉をしていた。当時のビル・ゲイツはOSに乗り気だった。しかし、意欲はあるが社内に全く新たにOSを作る能力はなかったのである。
そこで目を付けたのがSCPの86-DOSである。
まず1980年12月にSCPから非独占的なライセンス契約として25,000ドルで86-DOSを買い取った。1981年5月にはティム・パターソンを引き抜いてMicrosoftに雇い入れている。その2ヵ月後には86-DOSの全権利をSCPから50,000ドルで買い取った。このOSがPC-DOSとしてIBMのPCに組み込まれたのである。
そうして1ヵ月後に発売されたのが“IBM Personal Computer 5150”である。略称として“PC”が定着したのもこの時期で、IBM PC互換機から後のPC/AT互換機、つまり現在のPCの流れを築いた。
Microsoftのライセンス契約料は50,000ドルだったといわれている。ただ、このライセンス契約はMicrosoftが他の会社にも「MS-DOS」の名で販売できる権利が含まれていた。そのため一見は損な契約のようでいてMicrosoftは急成長し、現在の巨大企業になる基礎となったのである。
MS-DOSはこのような変遷を経て作られた。
PC/Mで使われたドライブレターが30年以上経っても使われている原因はこんな背景があったからだ。
実はビル・ゲイツは開発も何もしていない。基礎を作ったのはゲイリー・キルドールとティム・パターソンなんである。
ティム・パターソンは「MS-DOSの父」と言われている。
彼はMicrosoftとの間で訴訟を起こし1億ドルの和解金を手にしているが、そのMicrosoftに2度3度と戻りプログラマとして活躍した不思議な人でもある。結局、満足できる仕事ができれば訴訟を起こした相手の会社にでも行ける人なんだろう。彼の関心は「プログラム」だけなのだ。
彼の言葉に
「Who cares who wrote the operating system?(だれがOSを書いたヤツを気にするんだ?)」という名言がある。彼がいなければ今のMicrosoftはなかっただろう。
だが、そんな彼が世にあまり知られていないのは、こうしたエンジニアとしてのスタンスがあるからに違いない。