情報難民、情報弱者4

*clear*

2011年04月08日 23:43

4月7日、日付も変わろうかという時間に大きな余震が起きた。勤務が終わって帰宅すると速報になっていた。震度6強だというが、これだけでも十分に大きな地震だ。
もうすぐ震災から1ヶ月が経過しようとしているのに、津波を伴うほどの余震。被災地での人々の不安は幾許であろうか想像を絶する。原発事故だけでも復興を妨げる大きな障害なのに、更に余震が追い討ちをかける格好。
今後も急ピッチで産業の復興が行われるだろうが、こういう問題に加えて夏場の計画停電による下押しは否定できない。

さて4回目は「放送メディア」について書こうかと思っていたが、その前にどうしても書きたいと思ったことがある。
福島原発の放射性物質漏れによって周辺で通常を相当に上回る数値が検出されたことを受けて、幾つかの農作物が出荷停止になった。
しかし、関係のなかった農作物や水産物で「水揚げの拒否」や値が付かず「競りの不成立」などが起こった。それも福島県だけではなく茨城県でもだ。
風評被害はある程度、予想もできたし事前にメディアが風評被害にならないよう注意を促した。
しかし、このザマである。
これを一体どう受け止めるかだ。
業者は市場で売り難いので購入を躊躇う。それが理由だろう。そのことを一般ユーザーはどんな風に受け止めているか意思表示が必要ではなかろうか。

私たちがこういう風評にハッキリ「No!」と言うことが世論を変えることになりはしないかと思う。
これこそネットの力ではないだろうか?
もし、風評被害に流されずこうした原発事故のあおりを受けた地域の作物を購入する意思があるなら、意思表示していくことで被災地域を救う手助けになるのではないかと考えた。

一方で「東北応援セール」として積極的にこれら産地の作物を仕入れ販売する企業もある。
それを購入した消費者は「応援したい気持ちで買った」と話す。こういう市場の反応を冷静に見て今後の対応に当たるべきであろう。
目に見えない放射性物質に不安を感じるのは止むを得ないかも知れないが、もう少し科学的に恐がって欲しいのだ。感情論ほど醜いものはない。

原爆を落とされて被爆した広島やこの九州の長崎も被爆した。当初、アメリカはこう言った。
「今後少なくとも100年間は捨てられた都市になるだろう」
しかし半年後には焼け野原に雑草が生え、現在は他の都市と全く変わらない営みを行っているではないか。これらの地域で採れた作物を我々は別に恐がってはいないし、普通に観光で行きもする。
長崎は世間で騒がれているプルトニウム型爆弾だったが、実際にはプルトニウムよりヨウ素131やセシウム137の方が問題だった。
当時は放射能に対する知識が一般的になかったからだという意見もあるかも知れない。では、現在はそれより遥かに知識が身に付いたと言えるのだろうか。世界で唯一の被爆国でありながら漠然と恐い、核兵器は廃絶すべきだ、などと認識しているだけで原爆の恐怖シーンが勝手に一人歩きしているだけの気がする。正確に知ろうという努力はしているのか、という疑問は拭えない。
昨年の自身のブログで65回目の原爆記念日の日、原爆について言及したエントリーをアップした。
今、読み返してみると「核兵器廃絶」の根幹であるべき平和授業を行わない地方があることに始まり、原爆が使用に至った冷戦構造のロジックを批判し、最後に今後の日本の核に対する持論を述べている。
原子力の安全利用・運用を先導するオピニオンリーダーを務めていくのが被爆国としての責務ではないかと締めている。
世界的に見るとCO2の問題がある。原発は原理的に発電でCO2を発生しない。米国の原発開発路線もこれを受けてのことだった。
つまりCO2の問題と原子力発電がセットで考えられていた。日本もエネルギー削減どころか毎年確実に増加傾向にあるからだ。そして石油も石炭も有限資源に加え、資源を持たない日本は産油国の事情が発電コストに跳ね返る世界でも電気の高い国である。ダムは環境破壊の問題があり、太陽発電や風力発電は安定供給が難しい。
原発に対して批判が厳しくなるのは止むを得ないとして、原発全て廃止などできるはずもない。化石燃料から新エネルギーへの転換には解決できない大きな問題を山積した状態で、勢い原子力廃止など土台無理な話である。因みに九州は原子力への依存度が高く41%が原子力発電だそうである。これを節電で原子力以外の発電で賄えると考えるのは無理があろう。
九州電力では玄海原発の再稼動を延期した。これが長引けば夏場の電力需要増加に対しての懸念になることは明白だ。
再生可能な経済構造だった江戸時代まで遡れば問題はクリアできるが、これは現実的なアイデアとは呼べない。
今後は産業界も含めてエネルギー構造の大改革に迫られる原因になるだろう。
また、原発とどう向き合うかが今後の課題だ。


今回の震災で新しい試みが行われている。
各企業で個人からの支援物資を受け付け被災地に配送するサービスだ。
これまでの震災で個人から送られてきた物資の仕分けによって被災地が疲弊したことは既に何回もご紹介した。
今回の震災では全く違う方法によって、そのような弊害をヘッジするシステムが導入された。独自の物流システムを保有する企業グループで店頭募集し、自社の物流センターで取り纏めて仕分けする方法である。
なるほどと思った。
何しろ物流のプロが仕分けするのだから、不慣れな自治体が行うよりずっと効率がいい。しかも被災地でニーズの取り纏めを行ったボランティア・コーディネーターからの情報を元に現地へ送り込むので「必要な時に必要な分」が自社の流通システム、或いは提携する運輸企業の協力によって行われるので非常にスピーディーである。また、送られて仕分けするのでは被災地に大量の物資を保管する場所が必要だったのに対して、この方法はその場所も要らない。
各企業も業界レベルでの支援という新たな取り組みにおいて、この時代いかに「助け合い」が大事か認識を始めているという。ペットボトルのキャップを共通化するというのもそのひとつ。
またこういう災害が起きた時の備え、というだけでなく企業の連携は協力する新たな社会の始まりを告げているように感じる。



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