料理を化学する~数の子
π =
MRT
M :モル濃度 [mol/dm³]
R :気体定数 [atm·dm³/K·mol]
T :温度 [K]
この方程式は何か知ってるか?
浸透圧を算出するファントホッフの公式だ。
これが料理とどうして関係あるかだが、大有りなんだよ。
今回はおせち料理に欠かせない数の子をやろうと思っているんだが、普通に売っているのは塩蔵の数の子だよな。
因みに塩蔵の数の子が出回るようになったのは戦後のことだ。それまでは干した乾燥数の子を使っていた。
戦前までは干し数の子を米の研ぎ汁に漬けて1週間もかけて戻したんだそうだ。
現在は塩蔵の数の子なんだが、当然そのままじゃしょっぱくて食えない。
そこで適度な塩分になるよう塩抜きの作業が必要になる。
ここで利用しているのがさっきの式で言う「浸透圧」なんだな。
一般的に塩抜きには2~3%くらいの食塩水に数の子を漬けて行う。
じゃ、真水じゃダメなのか。
普通そう思うわな。
確かに真水でも塩は抜ける。
でもな、まずいんだよ。
極端に濃度が異なると、塩分濃度の高い数の子の細胞に急激に水が引き込まれる現象が起きるんだ。すると内部に浸透した水の圧力で破壊が起きてしまう。
コイツは赤血球の溶血と同じ現象。
しかも浸透圧が0の水では周辺部はよく塩が抜けるのに芯がしょっぱい、ということも起きる。
もっと困ったことに、数の子には塩化マグネシウムも含まれている。
この塩化マグネシウムは塩より水に溶けるスピードが遅い。するといい塩梅になった頃にはまだまだマグネシウムが残っている。
塩を抜き過ぎると塩化マグネシウムの味を感じるようになる。
塩化マグネシウムは…苦い!
当たり前だな、塩化マグネシウムとは“にがり”のことなんだから。
ところで浸透圧は使う食塩水の説明にあるような%、すなわち重量パーセント濃度ではなくモル(物質量)濃度を使う。
ある物質の分子がどれくらい存在するかを表したもんだ。
高2の化学あたりでやるんじゃなかったけ?
水1リットルに1molの塩を溶かすにはどれくらいの塩が必要か計算してみると、以下のようになる。
塩は塩化ナトリウムなので化学式はNaClだな。
化学式を見た途端帰ろうとしたヤツ。
オマエだ、オマエ。
もう少し読んでけ。
それぞれの原子量は
Na 22.99g
Cl 35.45g
だから1モルを求める式は
22.99+35.45=58.44g/mol
重量パーセント比で5.844%水溶液になる。
身近な水溶液の砂糖水で比較してみよう。
砂糖は単体では表せない複合物なので、主成分のショ糖で考えてみると化学式はC
12H
22O
11となる。
さっきのように原子量は以下の通り。
C 12.01g
H 1.008g
O 16.00g
すると、こんな式になる。
(12.01×12)+(1.008×22)+(16×11)=144.12+22.176+176=342.296g/mol
何と同じ1g/molにするためには砂糖は約6倍の量が必要だ。
砂糖漬けなどの加工食品がたくさんの砂糖を必要とする理由も何となくわかったろ。
しかもだ、塩のほかに少量で高い浸透圧が得られ、しかも食べられる物質はない。
もうひとつ塩には高い浸透圧を得られる秘密がある。
それは溶け方の違いだ。
比較に使った砂糖の場合、水溶液には分子の状態で溶ける。
一方、塩の場合、イオンの状態になり水の分子間に入り込んでいる。つまり水溶液ではNa
+とCl
-になっているため塩1molは事実上2molの水溶液になるんだ。
このエントリで長女が先生に突っ込んだ話はこのことを言ってるんだが、基礎化学を理解する上で避けられないのがコレなんだな。
物理溶解と化学溶解の違いってわけだ。
この特性を人類は身近な調味料として利用するだけでなく、防腐剤や脱水材として用い様々な用法を編み出してきた。
呼び塩、立て塩、振り塩、塩揉み
いずれも塩の濃度を変えたり、使い方を変えたりした塩のテクニックだ。
もっと言うと砂糖は温度を上げると水にどんどん溶けるが、塩は一定の量まで溶けるとそれ以上溶けなくなる。(吸熱反応)これを中学で習って、高校でルシャトリエの原理(平衡移動の法則)として学習するんだったと思う。
普段何気なくやっていることにはこんな科学的裏付けがあるんだ。
そんなことわからなくても言われた通りにやればできる、だって?
そりゃそうかもな。
だがなオレはこう思う。
そいつは職人的発想だ。
オレは職人と技術者の決定的違いは、やっていることへの「理解と科学的裏付け」があるかなないかだと思う。
要するにな、職人というのは先代から受け継がれたことを愚直に繰り返すだけの「猿マネ」
一方、技術者というのはやっていることに科学的な見地が入るために、条件が異なっても対応できるだけでなく、他の知見から新たな手法や別のものに置き換えることができる。
このことはな、職人が
イノベーションを起こすのがほとんど「偶然」なのに対して、技術者や研究者が多くのイノベーションを生み出している事実と一致する。
起こすべくして起こすものと偶然は全く確立が異なるのは当然。
これから職人はどんどん要らなくなるぞ。
料理つうのも、その内容は化学そのものと言っていいんだろうな。
数の子の塩抜きだって高校の理科で習う内容が使われてるんだからな。
つまりな、料理も科学的に解釈してるのとそうじゃないのじゃ出来が違うってことだ。
しかも理論的に物事を判断する人間は理解のスピードがもの凄く早い。
子供と料理するときに、科学的にどんな現象が起きているのか勉強する絶好の機会でもあるんだぞ。
問題は親がそういう興味や知識を持ち合わせているかなんだがな。
親ももっと勉強しろ。
今日は前置きが長いな。
じゃ、作り方行くぞ。
<材料>
塩蔵数の子…500g
<漬け汁>
水…200cc
酒…160cc
薄口醤油…大さじ2
味醂…大さじ2
鰹節…1パック
輪切り唐辛子…5g(結構大量)
ざっくり工程からな。
29日夜から塩抜き→30日出汁漬け込み→大晦日夜、食せ。
いいな。
まずは塩抜きからだ。
塩抜き前の数の子をまず食ってみろ。
すごくしょっぱくて食えないだろ。こいつを丁度いい塩分まで塩を抜く作業だ。
最初に作る塩水は濃度の濃い水溶液を用意するぞ。
量は1リットルだ。
まずは平均海水塩分濃度と同じ3.5%の食塩水を使って塩抜きを試みる。
この塩水で寝るまでの間漬け、味見してみろ。まだしょっぱいだろ。
次は2.5%の食塩水を用意して漬け込んだら寝てしまえ。
翌朝は早起きしろよ。
朝、起きたら数の子を味見して塩分を確認。まだ濃いようだったら調整に入る。
濃い場合は2%の食塩水で2時間ほど漬け込め。
これで塩抜き作業は終了だ。
味付けに入る前に塩抜きのメカニズムな。
最初の塩抜きは水温15度と仮定した場合、浸透圧は28気圧程度になっている。
ファントホッフの式に当てはめて計算すると以下のようになる。
1)1m
3(=10
6cc)の3.5%塩水に含まれる塩化ナトリウムの量
3.5g/100cc×10
6cc=3.5×10
4g=35Kg
2)モル濃度 M(mol/m
3)
塩化ナトリウムの分子量は58.44g/mol=0.05844Kg/molなので、上記1m
3の塩水の
塩化ナトリウムのモル数は
35(Kg)/0.05844(Kg/mol)=598.9mol
ただし、塩は水溶液中ではイオン状態になるので2倍になる。従い
598.9×2=1197.8
3)3.5%塩水の浸透圧πを求める
モル濃度 M が求められたのでファントホッフの式から浸透圧を求める。
温度15度=C+275.15=288.15 K
気体定数R=8.314 J K
-1 mol
-1
π = MRT=1197.8×8.314×288.15=2867627.8827(N/m
2)
1気圧=103325(N/m
2)であるから
2867627.8827/103325=27.7534(気圧)
数の子の塩分濃度は10%前後。実は塩水に漬けられた数の子と塩水には2~3倍程度の圧力差が生じる。
平衡移動の定理から異なる塩分濃度の水溶液が接していれば、同じ濃度になろうと移動する。これが塩抜きの原理だ。
つまりだな、漬け込みに使った塩水の塩分濃度はどんどん上がって数の子内部からは塩分を放出する。同じ濃度になったら塩分の移動はなくなる。
最初は圧力の差が大きいので抜け方も大きいが、その分早く濃度が一緒になるので早く塩水を取り替えるんだ。
次に用意する塩水は濃度を下げて長時間の塩抜きさせるが、寝ている間、つまり8時間程度を想定しているので必要以上抜けないようにしているんだな。
最後に塩分濃度を調整することでベストな数の子にする。
塩分は数の子に残留するマイナス要素(苦味なんかだな)を隠すオブラートみたいな役目を果たしている。
旨味が逃げる、というのは動物の細胞膜の構造を理解していればウソ。
つまりな、真水で塩抜きしてはいけないのではなくて、ずっと真水(あるいは流水)で塩抜きすることに問題があるんだな。
もし最初の塩抜きで真水を使ったとしても、数の子周辺部で細胞破壊がされた結果、食感が損なわれることがあっても苦味の影響は出ないはずだ。
だってな、真水に数の子の塩分が出ていくので塩分は一定以上抜けるはずがない。
真水より塩水の方が早く塩が抜ける、というのは完全に迷信だ。
むしろ塩水で塩抜きするのは食感の維持と塩を抜き過ぎ防止のストッパー役。
こう考えた方が科学的だろ。
理想的な塩分濃度は塩水でコントロールすべし
塩抜きをここまで長々と書いたのは「塩抜きを制するものは数の子を制する」と言いたいんだよ。
後は如何様にでもフォローできる。
料理に限らず、普段の生活で理由もわからずにやっていることはかなりありそうだ。
問題なのはそれに何も疑問を持たずやっていることなんだと思う。
いやいや、宣伝文句にいちいち踊らされるのも、科学的に疑問を持たないことからじゃないか?
例えばヒアルロン酸は飲んで関節に届くのだろうか。
人体の消化吸収プロセスやヒアルロン酸が分子レベルで巨大な物質だということを知っていれば、飲んで効くシロモノではないことは容易に理解できるだろ。
もっと多くの人が科学的視点で見ていたら「皇ナンタラ」とか売れるどころか会社潰れるだろうに。
塩抜きをしていると数の子の薄皮が白く浮いてくる。
これを丹念に剥がせ。
数の子を壊さないようにな。
さてさて、漬け汁の方だけどな。
先に小鍋で水を沸かし鰹節投入。
一煮立ちしたら取り除け。出汁が濁るからな。
後は他の調味料を入れて終わりだ。
唐辛子は辛さへの耐性で決めろ。
当たり前だが、出汁は冷えるまで放置だぞ。
出汁の2度漬けを推奨しているレシピもあるようだが、このエントリの内容を読んだら必要ないのはわかるよな。
後な、昆布を一緒に漬ける、ってヤツ。
昆布の旨味ってのはグルタミン酸なんだけどな、こいつの分子構造はアミノ酸なんでデカイ。
つまり汁物には効果が期待できるが、染み込ませる料理では効果はほとんどない。
材料はムダ遣いするな。
いいな。
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